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最高裁判所第一小法廷 昭和62年(オ)58号 判決 1993年2月25日

上告人

鈴木保

外七一名

右七二名訴訟代理人弁護士

宇野峰雪

柿内義明

鵜飼良昭

野村和造

福田護

千葉景子

岡部玲子

山本博

荻原富保

小池貞夫

小川光郎

葉山水樹

太田宗男

中野新

仲田信範

佐藤優

小沢克介

福本庸一

湯沢誠

藤村耕造

伊藤秀一

同訴訟復代理人弁護士

三野研太郎

大塚達生

髙田涼聖

森田明

小泉幸雄

中杉喜代司

被上告人

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

加藤和夫

外一八名

主文

一  原判決中上告人らの昭和六〇年八月二九日以降に生ずべき損害の賠償請求に関する部分を除くその余の損害の賠償請求に関する部分を破棄し、右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

二  上告人らのその余の上告を棄却する。

三  前項に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

一上告代理人宇野峰雪、同柿内義明、同鵜飼良昭、同野村和造、同福田護、同千葉景子、同岡部玲子、同山本博、同荻原富保、同小池貞夫、同小川光郎、同葉山水樹、同太田宗男、同中野新、同仲田信範、同佐藤優、同小沢克介、同福本庸一、同湯沢誠、同藤村耕造、同伊藤秀一の上告理由第一点について

所論は、上告人らの本件訴えのうち、自衛隊の使用する航空機(以下「自衛隊機」という。)の一定の時間帯における離着陸等の差止め及びその余の時間帯における音量規制を請求する部分(以下この部分の請求を「本件自衛隊機の差止請求」という。)は、被上告人が自衛隊機の飛行行為等によって上告人らの私法上の権利を違法に侵害していることを理由に、上告人らがその有する環境権、人格権に基づき、被上告人に対して自衛隊機の飛行の禁止等の不作為を求めるものであるから、民事訴訟によって解決されるべき事柄であるにもかかわらず、本件自衛隊機の差止請求は統治行為ないし政治問題に係るものであって民事訴訟事項としての適格を有しないとした原審の判断には、憲法九八条一項、八一条、三二条の解釈適用の誤り、理由不備、理由齟齬の違法、法令の解釈適用の誤りがある、というのである。

そこで、本件自衛隊機の差止請求が民事上の請求として許されるかどうかについて、以下に検討する。

1  自衛隊法三条は、自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる旨を定め、同法第六章は、自衛隊の行動として、防衛出動(七六条)、命令による治安出動(七八条)、要請による治安出動(八一条)、海上における警備行動(八二条)、災害派遣(八三条)、領空侵犯に対する措置(八四条)等の各種の行動を規定している(なお、右の行動に必要な情報の収集、隊員の教育訓練も自衛隊の行動に含まれる。防衛庁設置法五条四号、八号参照)。自衛隊機の運航は、右のような自衛隊の任務、特にその主たる任務である国の防衛を確実、かつ、効果的に遂行するため、防衛政策全般にわたる判断の下に行われるものである。そして、防衛庁長官は、内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する権限を有し(自衛隊法八条)、この権限には、自衛隊機の運航を統括する権限も含まれる。防衛庁長官は、「航空機の使用及びとう乗に関する訓令」(昭和三六年一月一二日防衛庁訓令第二号)を発し、自衛隊機の具体的な運航の権限を右訓令二条七号に規定する航空機使用者に与えるとともに、右訓令三条において、航空機使用者が所属の航空機を使用することができる場合を定めている。

一方、右のような自衛隊の任務を遂行するため、自衛隊機に関しては、一般の航空機と異なる特殊の性能、運航及び利用の態様等が要求される。そのため、自衛隊機の運航については、自衛隊法一〇七条一項、四項の規定により、航空機の航行の安全又は航空機の航行に起因する障害の防止を図るための航空法の規定の適用が大幅に除外され、同条五項の規定により、防衛庁長官は、自衛隊が使用する航空機の安全性及び運航に関する基準、その航空機に乗り組んで運航に従事する者の技能に関する基準並びに自衛隊が設置する飛行場及び航空保安施設の設置及び管理に関する基準を定め、その他航空機による災害を防止し、公共の安全を確保するため必要な措置を講じなければならないものとされている。このことは、自衛隊機の運航の特殊性に応じて、その航行の安全及び航行に起因する障害の防止を図るための規制を行う権限が、防衛庁長官に与えられていることを示すものである。

2  以上のように、防衛庁長官は、自衛隊に課せられた我が国の防衛等の任務の遂行のため自衛隊機の運航を統括し、その航行の安全及び航行に起因する障害の防止を図るため必要な規制を行う権限を有するものとされているのであって、自衛隊機の運航は、このような防衛庁長官の権限の下において行われるものである。そして、自衛隊機の運航にはその性質上必然的に騒音等の発生を伴うものであり、防衛庁長官は、右騒音等による周辺住民への影響にも配慮して自衛隊機の運航を規制し、統括すべきものである。しかし、自衛隊機の運航に伴う騒音等の影響は飛行場周辺に広く及ぶことが不可避であるから、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるものといわなければならない。そうすると、右権限の行為は、右騒音等により影響を受ける周辺住民との関係において、公権力の行使に当たる行為というべきである。

3 上告人らの本件自衛隊機の差止請求は、被上告人に対し、本件飛行場における一定の時間帯(毎日午後八時から翌日午前八時まで)における自衛隊機の離着陸等の差止め及びその他の時間帯(毎日午前八時から午後八時まで)における航空機騒音の規制を民事上の請求として求めるものである。しかしながら、右に説示したところに照らせば、このような請求は、必然的に防衛庁長官にゆだねられた前記のような自衛隊機の運航に関する権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるものといわなければならないから、行政訴訟としてどのような要件の下にどのような請求をすることができるかはともかくとして、右差止請求は不適法というべきである。

以上のとおりであるから、上告人らの本件自衛隊機の差止請求に係る訴えを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、違憲をいう点を含め、原判決の結論に影響のない事項についての違法をいうものにすぎず、採用することができない。

二同第二点について

所論は、上告人らの本件訴えのうち、アメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)の使用する航空機(以下「米軍機」という。)の一定の時間帯における離着陸等の差止め及びその余の時間帯における音量規制を請求する部分(以下この部分の請求を「本件米軍機の差止請求」という。)は、本件自衛隊機の差止請求と同様、被上告人に対して不作為を求めるものであり、この場合においてその相手方が厚木飛行場の設置・管理者である被上告人となるのは自明のことであって、米軍の本件飛行場の使用権限が条約によって与えられているという事実は被上告人と米軍との間の内部関係にすぎないから、被上告人に米軍機の運航を規制、制限する権限がないことなどを理由に本件米軍機の差止請求に係る訴えを却下すべきものとした原審の判断は、憲法三二条に違反し、裁判所法三条の解釈適用を誤ったものである、というのである。

しかしながら、上告人らは、米軍機の運航等に伴う騒音等による被害を主張して人格権、環境権に基づき米軍機の離着陸等の差止めを請求するものであるところ、上告人らの主張する被害を直接に生じさせている者が被上告人ではなく米軍であることはその主張自体から明らかであるから、被上告人に対して右のような差止めを請求することができるためには、被上告人が米軍機の運航等を規制し、制限することのできる立場にあることを要するものというべきである。

これを本件についてみると、原審の確定したところによれば、本件飛行場は、原判決の引用する一審判決別冊第1図青枠部分の区域からなり、被上告人が米軍の使用する施設及び区域としてアメリカ合衆国に提供しているものであって(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年条約第六号)六条参照)、昭和四六年六月三〇日に我が国とアメリカ合衆国との間で締結された政府間協定により、同年七月一日以降、(1) 前記第1図の緑斜線部分は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和三五年条約第七号)二条四項(a)に基づき、米軍と我が国の海上自衛隊の共同使用部分とされ、(2) 同図赤斜線部分は、海上自衛隊の管轄管理する施設となったが、同項(b)の規定の適用のある施設及び区域として米軍に対し引き続き使用が認められ、(3) 同図黄色部分は、引き続き米軍が航空機を保管し整備等を行うため専用している。このように、本件飛行場に係る被上告人と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから、被上告人は、条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めのない限り、米軍の本件飛行場の管理運営の権限を制約し、その活動を制限し得るものではなく、関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。そうすると、上告人らが米軍機の離着陸等の差止めを請求するのは、被上告人に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものというべきであるから、本件米軍機の差止請求は、その余の点について判断するまでもなく、主張自体失当として棄却を免れない。論旨は採用することができない。

原審の説示するところも、その趣旨は右と同一に帰するところ、原審が上告人らの本件米軍機の差止請求に係る訴えを不適法として却下したのは相当でないが、右却下部分を取り消して上告人らの請求を棄却するのは不利益変更禁止の原則に触れるから、右却下部分に対する上告はこれを棄却すべきである。

三同第三点ないし第六点について

上告理由第六点は、要するに、原判決は、本件飛行場に離着陸する航空機に起因する騒音等による被害が受忍限度を超え、被上告人による本件飛行場の使用及び供用が違法性を帯びるかどうかを判断する要素として、(1) 侵害行為の態様と侵害の程度、(2) 被侵害利益の性質と内容、程度、(3) 侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度、(4) 被害の防止に関する被上告人による対策の有無、内容、効果、(5) 侵害行為としての騒音等に対する行政的な規制に関する基準、(6) 上告人らの侵害行為への接近の度合等を掲げながら、専ら加害行為の公共性のみが受忍限度を決定するとし、他の要素を考慮していないのであって、右判断には法令の解釈適用の誤り、理由不備、理由齟齬の違法がある、というのである。

1  そこで、この点に関する原判決の判示をみるのに、原判決は、(1) 上告人らが本件航空機騒音等により受けているいわゆる共通被害の内容は、定量的には把握し難い精神的な不快感、いら立ち、航空機墜落等に対する不安感等の情緒的被害、睡眠妨害、テレビ・ラジオの視聴及び会話・電話の支障等の生活妨害であって、それ以上に客観的に上告人らの生命、身体及び健康に対し具体的な被害が発生しているとは認め難いとした上、(2) 一般に、公共性のある行為に伴って第三者に被害が発生する場合、加害行為を違法とするためには、公共性を帯びない行為との関係で受忍限度とされる程度を超える被害が生じているというのみでは足りないのであって、当該行為の公共性の性質・内容・程度に応じて受忍限度の限界が考慮されるべきであり、これについては、公共性が高ければ、それに応じて受忍限度も高くなるといわなければならないとし、(3) 本件の場合、本件飛行場の沿革、周辺地域の事情の下で、被上告人による本件飛行場の使用及び供用行為の高度な公共性を考えると、これに基づく上告人らの被害が前記のような情緒的被害、睡眠妨害ないし生活妨害のごときものである場合には、かかる被害は受忍限度内にあるものとして、これに基づく慰謝料請求は許されない、と判断している。

2  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は以下のとおりである。

被上告人による本件飛行場の使用及び供用が第三者に対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となるかどうかについては、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察して判断すべきものである(最高裁昭和五一年(オ)第三九五号同五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)。

これを本件について検討すると、次のとおりである。すなわち、(1) 本件飛行場の使用及び供用による騒音等の被害は、それが原審認定のような情緒的被害、睡眠妨害、生活妨害にとどまるものであるとしても、上告人らがこれを当然に受忍しなければならないような軽度の被害であるということはできず、また、原審の認定したところによれば、その被害を受ける地域住民は、かなりの多数にのぼっているというのである。(2) 上告人らの被害の程度と本件飛行場の使用及び供用の公共性ないし公益上の必要性との比較検討に当たっては、本件飛行場の周辺住民が本件飛行場の存在によって受ける利益とこれによって被る被害との間に、後者の増大に必然的に前者の増大が伴うというような彼此相補の関係が成り立つかどうかの検討が必要であるというべきところ(前記大法廷判決参照)、原審はこの点について何ら判断をしていないのみならず、その認定事実からは、本件において右のような関係があることはうかがわれない。(3) 被上告人が講じた被害対策及びその効果については、原審の認定したところによれば、住宅防音工事は原則として一室ないし二室について施行されているにすぎないため騒音が十分に防止されているものとはいえず、移転措置は補償額が現実の不動産取引価格からみて相当に低廉であることなどから騒音被害の改善に予期したほどの効果をあげておらず、緑地整備は激甚な航空機騒音等の深刻な被害の救済改善に直接的かつ効果的な対策となっているとはいい難く、自衛隊機及び米軍機の騒音の軽減低下はほとんど期待し得ず、飛行コースの変更等による騒音防止措置には限界がある、というのである。

そうすると、原審は、本件飛行場の使用及び供用に基づく侵害行為の違法性を判断するに当たり、前記のような各判断要素を十分に比較検討して総合的に判断することなく、単に本件飛行場の使用及び供用が高度の公共性を有するということから、上告人らの前記被害は受忍限度の範囲内にあるとしたものであって、右判断には不法行為における侵害行為の違法性に関する法理の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。したがって、過去の損害の賠償請求を棄却すべきものとした原審の判断につき違法をいう論旨は、その余の点について判断するまでもなく理由がある。

以上によれば、原判決中上告人らの過去の損害(原審口頭弁論終結の日である昭和六〇年八月二八日までに生じた損害)の賠償請求を棄却すべきものとした部分は、違法として破棄を免れない。そして、前記違法性の判断及び損害賠償額の算定等について更に審理を尽くさせる必要があるから、右部分につき本件を原審に差し戻すこととする。

四同第七点について

本件訴えのうち将来の損害(原審口頭弁論終結の日の翌日である昭和六〇年八月二九日以降に生ずべき損害)の賠償請求に係る訴えを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、上告理由第一点についての裁判官味村治、同橋元四郎平の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

上告理由第一点についての裁判官橋元四郎平の補足意見は、次のとおりである。

上告人らの本件自衛隊機の差止請求が民事上の請求として不適法というべきことは、法廷意見の説示するとおりであるが、このような紛争を行政訴訟の対象とすることができるかどうかについては、次のように考える。

法廷意見の説示するように、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるものといわなければならない。しかしながら、自衛隊機の運航により一定限度以上の被害を受けることがないという周辺住民の利益は、法律上の利益というべきであるから、右の利益を有する周辺住民は、自衛隊機の運航に関する権限の行使の適法性を争って行政訴訟を提起する原告適格ないし訴えの利益を有するものと解すべきである。

右の行政訴訟の形態としては、防衛庁長官が特定の飛行場における離着陸を伴う自衛隊機の運航を個別的又は包括的に命じていて、その命令による自衛隊機の運航に伴う騒音等により周辺住民が著しい被害を受ける場合には、その命令の全部又は一部の取消しを求める訴訟が考えられる。しかし、事柄の性質上、自衛隊機の運航に関する命令は自衛隊内部におけるもので、部外者がその内容を知ることはほとんど不可能と考えられるから、右のような訴訟形態は、実際上適切な争訟手段にはなり得ないといわざるを得ない。

そこで、他に争訟手段としてどのような訴訟形態を採ることができるかを検討すると、防衛庁長官に対して、特定の飛行場における離着陸を伴う自衛隊機の運航で一定の時間帯又は一定の限度以上の音量に係るもの等についての命令を発してはならないとの不作為を求める訴訟形態が考えられる。これは、いわゆる無名抗告訴訟の一種であり、無名抗告訴訟としての要件を具備することが必要であって、とりわけ、周辺住民が自衛隊機の運航に伴う騒音等により受けている被害が今後も反復継続することが確実と見込まれ、あらかじめこれを防止しなければ回復し難い著しい障害を受けるおそれがある等事前の救済を認めないと著しく不相当となる事情が存することを要するものと解されるが、これらの要件を具備する限り、このような訴訟を提起することができると考える。

裁判官味村治は、裁判官橋元四郎平の補足意見に同調する。

(裁判長裁判官味村治 裁判官大堀誠一 裁判官橋元四郎平 裁判官小野幹雄 裁判官三好達)

上告代理人宇野峰雪、同柿内義明、同鵜飼良昭、同野村和造、同福田護、同千葉景子、同岡部玲子、同山本博、同荻原富保、同小池貞夫、同小川光郎、同葉山水樹、同太田宗男、同中野新、同仲田信範、同佐藤優、同小沢克介、同福本庸一、同湯沢誠、同藤村耕造、同伊藤秀一の上告理由

第一点

自衛隊機についての差止請求は、被上告人国(以下単に国という)が自衛隊機の飛行行為等によって上告人らの私法上の権利を違法に侵害していることに対して、上告人らの有する環境権、人格権に基づいて飛行の禁止等の不作為を求めるもので、民事訴訟によって解決されるべき事柄である。しかるに原判決が、上告人らの請求は統治行為乃至政治問題に該るとして民事訴訟事項としての適格を有しないとしたのは、憲法の解釈適用を誤ったものであり、理由不備、理由齟齬があり又判決に影響を及ぼすべきことが明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、破棄を免れない。

一 原判決は、いわゆる統治行為論を採用し、上告人らの対自衛隊機差止請求は、「統治行為ないし政治問題に属するものというべき」事項につき司法府の判断を求めるものであり、「裁判所の民事訴訟事項として適格を有するものとすることはできない」と判示する。

しかしながら、わが憲法は、統治行為なる事項を規定していず、また、解釈上も導き出し得ない。わが国憲法は、憲法の最高法規性を明定し、憲法の条項に反する一切の国務に関する行為はその効力を有しないと規定している(憲法第九八条第一項)。そして、これを現実的に担保する制度として、違憲審査権を裁判所に付与し(同第八一条)、裁判所法は、これを受けて、「裁判所は、日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し」と定めている(第三条第一項)。また、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」のである(憲法第三二条)。

すなわち、わが国の憲法下においては、法律上判断可能な具体的紛争(もちろん本件もこれに含まれる。)については、裁判所は例外なくその職責上の義務として裁判しなければならないのであり、国民は、裁判を求める権利を有するのである。統治行為論は、法律上判断可能な具体的紛争についても、一定の事項については、裁判所の裁判権が及ばないとするものであり、この理論が、憲法の前記各条項及び裁判所法の規定に違反することは明らかであり、これを採用した原判決は、憲法に違背し、且つ、裁判所法の解釈適用を誤ったものでその誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 仮に我が国憲法上統治行為乃至政治問題として司法審査の及ばない分野が存在するとの立論が憲法との整合性をもつものであるとしても、少なくとも本件において統治行為論を採用する余地はない。

1 統治行為乃至政治問題か否かが問題となるのは、いうまでもなく該訴訟物が統治行為乃至政治問題に該る場合、或いは訴訟物そのものは統治行為乃至政治問題には属さないが、訴訟物に対する判断に不可欠なものとして統治行為乃至政治問題に属する事項に対する判断が伴うという関係にある場合のみであって、司法判断の結果が事実上行政に影響を与えるに過ぎない場合にまで適用する余地はない。最高裁判所乃至下級審裁判所が統治行為論を援用したと論評されている諸判例も、当然のこととして右の如き事案にかかる場合のみであって、本件の如く訴訟物はもとより、その判断の前提事項も統治行為乃至政治問題に属していないものについて、司法審査が及ばないなどとしたものは存在しない。

本件で上告人らは自衛隊機の飛行行為等によって権利を侵害されていることの救済方法として人格権等に基づく民事上の差止請求を行っているに過ぎず、かかる場合にまで右請求を認容することにより、防衛機能に支障を来たすとして司法救済の途を封じるとすれば、三権分立という現行憲法の基本的枠組は瓦解し、行政に何らかの影響を与えるものについては国民の裁判を受ける権利は認められないことに帰結し、憲法解釈上到底容認しうるところではない。

2 原判決は現在の航空機の性能を前提として、上告人らの請求は本件飛行場の防衛施設としての機能のほぼ全面停止を求めるに等しいと結論づけ、右の如き上告人らの差止請求は、「わが国の自衛権行使のための実力組織の規模、内容、程度及びその運用を如何に決定するか」という「高度の政治的、専門的裁量による判断を伴う」「緊要な国家の政策決定の具体的効力を直接左右するが如き」ものであるとし、それ故上告人らの請求は統治行為乃至政治問題に属する事項につき司法判断を求めるものだという。

しかし航空機の性能がどうであるか、現状の性能で上告人らの請求を満すことができるか否かといった事柄は、法理の問題ではなく単なる事実の領域に属する事柄である。原判決の論理によれば自衛隊機の飛行行為等の差止を求める訴えは、航空機の性能如何によって、或る場合には適法となり或いは不適法になるということを意味するものであって、非常識きわまりない。又、原判決の論理によれば、上告人らが現在の航空機の性能を前提として、現状でも飛行方法の改善等により飛行そのものを停止させることなく、その履行が可能と考えられる程度の差止基準でもって請求すれば、訴えは適法となることになるが、同種の差止請求が、その差止基準の設定如何によって適法となるか不適法となるかが決せられるというのも不可思議千万である。

要するに原判決は法理の領域に属する問題である統治行為論を、事実の領域に持込んでいるのであって、その誤りは余りに明らかといわねばならず、この誤りが判決に影響を及ぼすこともまた明らかである。

三 原判決は航空機の性能及び上告人らの差止基準の二点を根拠として、本件請求が「自衛隊による本件飛行場の使用を全面的に中止させるか、これに大巾な制約を課することを求めるもので」「結果的に」「防衛施設としての機能のほぼ全面的な停止を求めるに等しい」と断定し、上告人らの請求が統治行為乃至政治問題に属する事項について司法判断を求めるものだとしている。しかし現在の航空機の性能との関係で本件飛行場の防衛施設としての機能をほぼ全面的に停止させるに等しいと原判決が判示している上告人らの居住地での到達騒音六五ホン以上の禁止なるものは、上告人らの請求する差止基準にであり、如何なるレベルの騒音暴露が差止請求権を発生させるに足る違法性を具備することとなるかは裁判所が判断しうることであり判断すべきことである。請求の一部認容という制度が存するのであるから、裁判所は上告人らの請求より高いレベルの差止基準を設定することに何の不都合も存しない。即ち、原判決は実体判断の結果として示される差止基準の如何によって、訴訟要件の有無を決しようとしているのであって、背理もはなはだしい。

この点で、原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤り、理由不備、理由齟齬の違法を犯したものである。

四 以上のとおり、統治行為論を採用した原判決の誤りは明らかであるが、一審判決も、原判決とは別の理由により、上告人らの対自衛隊機差止請求について、「通常の民事訴訟によって求めることはできない」と判断し、訴えを却下しているので、この点につき付言する。

一審判決が、本件厚木飛行場の設置・管理および本件厚木飛行場における自衛隊機の運航が防衛行政権の行使そのものだといっていることの意味は、それが公権力の行使に当たるといっているものと思われる。なぜならば、民事訴訟の方法で救済を求めることができず、行政訴訟の方法によってのみ救済を求めることができるのは行政庁の公権力の行使にあたる行為のみだからである。しかしながら、公権力の行使に当る行為とは、平等な権利主体間の横の関係とは異なり、権力―服従の縦の関係において、法律による特別の授権に基づき、権力行使の権能を有する者が優越的意思の主体として相手方の意思のいかんを問わず一方的に意思決定をし、その結果につき相手方の受忍を強制しうる効果をもつ行為を意味する。

しかし、第一に、本件飛行場の設置・管理についていえば、一般に、公の営造物の設置・管理の作用は右営造物の物的施設に対する所有権等の権限に基づき、その範囲内で行われる非権力的作用であって、右営造物の利用者ないしは利用関係の設定を求める者に対する関係においてはともかく、右営造物とは特別の関係に立たない第三者に対する関係においては、特別の法令上の根拠規定のない限り、設置・管理の主体はなんら優越的意思の主体としての権力行使の権限をもたないことについては、判例学説上異論を見ないところである。したがって、右営造物とは特別の関係に立たない第三者は、右営造物の設置・管理の瑕疵によって損害を蒙った場合に、それを受忍・服従しなければならないものではなく、私人の場合と同様の方法で、同様の内容の救済を求めることができるものといわなければならない。

そして、本件飛行場も公の営造物であることは一審判決も認めるところであって疑いを容れず、そうである以上営造物の設置・管理行為が、該営造物と特別の関係を有さない第三者との関係において、非権力作用として、その瑕疵をめぐる法律上の紛争が民事訴訟の対象となることは疑問の余地のないところといわなければならない。

第二に、自衛隊機の運航に関していえば、一審判決のいうところは「内閣総理大臣及びその指揮監督下にある防衛庁長官」と「現実に自衛隊機の運航を行う自衛隊員」とのあいだの関係が公権力の行使関係にあるという限りにおいて、われわれも敢えて異を唱えるつもりはない。しかしそれはあくまでも防衛庁ないし自衛隊の機構内部においてのことに過ぎないのであって、自衛隊機の運航それ自体は単なる事実行為である。確かに、本件訴訟において、上告人らの本件差止請求が認容されるならば、国は、事実上は、「防衛活動に備えての訓練活動」の「方法、態様」について現状の変更を余儀なくされ、新たな訓練や通達の発出を迫られることとなるであろう。しかしそれはあくまで差止判決の反射的効果にすぎない。通常の民事訴訟によって行政権の行使の取消変更ないしその発動を求めることが許されないというのは、行政処分の効力を争うためには抗告訴訟によらなければならないという意味においてのみ正しいのであって、およそ行政権の行使に影響をおよぼすような請求を通常民事訴訟ですることが許されないというような論法がまかりとおるとするならば、国民の裁判を受ける権利(憲法三二条)が侵害されるばかりでなく、すべての行政が法律に基づき、法律にしたがって行われることを要し、違法の行政作用により国民の権利を侵害した場合には、訴の提起により、最終的には常に裁判所のコントロールに服せしめられるという憲法の根本原理に背反することとなるのであるから、そのような論法が許される訳がないのである。

以上のとり、一審判決は、憲法の解釈を誤ってこれに違反し、且つ、訴訟法の解釈適用を誤って上告人らの訴を却下したものであって、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点

米軍機にかかる差止請求についての原判決の判断は憲法三二条に違反し、また右判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟法の解釈適用の誤りがある。

原判決は、上告人らの米軍機にかかる差止請求について、米軍が安保条約、地位協定に基づいて本件飛行場を使用しているのであるから、米軍機の運航に関して我が国の裁判権が及ぶいわれはなく、又、被上告人たる国もその運航を規制、制限する権限を有しないから不能を強いるに外ならないとして不適法な請求だとし、更には上告人らの右請求が仮に上告人ら主張のとおりの制約を実現するための行為に出ることを求めるものであるとするならば、これは所謂行政上の義務付訴訟に該る故、やはり不適法たることを免れないとして上告人らの右請求を却下したが、右は憲法及び訴訟法の解釈を誤ったものである。

上告人らの米軍機にかかる差止請求は、自衛隊機にかかる差止請求と同様、国に対する不作為を求めているものに外ならない。そして米軍機が如何なる法的根拠に基づいて本件飛行場を使用していようとも、滑走路、管制施設という、飛行機の離着陸に不可欠な施設を国が設置・管理している以上、右営造物の使用によって地域住民らに加えられている侵害行為の排除請求の相手方が営造物の管理者たることは自明のことであって、この点において大阪国際空港訴訟事件の差止請求の構造とかわるところはない。米軍の使用権限が条約によって与えられているという事実は、単に設置・管理者たる国と利用者たる米軍との間の内部関係に過ぎず、内部関係の故をもって営造物の設置・管理者に対する請求が不適法になるとするのは、国民の裁判を受ける権利を奪うものという外なく、又裁判所法第三条の解釈を誤ったものたることが明らかである。

又、原判決は義務付訴訟という側面からも上告人らの請求を不適法としているが、これは上告人らの請求を誤解する以外の何ものでもない。上告人らは厚木飛行場の設置・管理者たる国に対し不作為を求めているに過ぎず、国と米軍の関係上、米軍機に対する差止が認容された場合に国が判決の命ずる不作為を実現するために、米軍当局に対して何らかの措置をとることになろうが、それは訴訟の対象事項ではないし、裁判所が考慮すべき事柄ではない。繰り返していえば、本件差止請求は不作為を求める民事上の請求であり、強制執行の方法は間接強制である。間接強制の執行の要件としての不作為義務の特定という点で欠けるところはないのである。

国が上告人らに対して右不作為義務を履行するために、事実上、米国との間にどのような外交交渉を必要とするか、ということは上告人らの関知するところではないし、本件訴訟とはなんの関係もないことであって、判決の事実上の効果、あるいは反射的効果にすぎないのである。

しかるに、原判決及び一審判決は、これを誤解し、民事訴訟法の解釈を誤り、上告人らの訴を却下し上告人らの裁判を受ける権利を侵害したものである。

以上のとおり、原判決には、憲法違反及び判決に影響を及ぼすべき法令違背があり、破棄を免れない。

第三点

原判決が、大阪国際空港訴訟事件判決の内容を裁判所に顕著であるとして厚木基地と比較したことについては、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の解釈適用の誤り、経験則違背、審理不尽、理由不備又は理由齟齬の違法がある。

一 原判決は、厚木基地における騒音量等に関して、大阪国際空港における騒音量等を大阪国際空港訴訟事件の判決内容が顕著であるとして事実認定し、比較している。

しかしながら、大阪国際空港訴訟事件に提出された証拠が、書証として多数本件訴訟に提出された事実があったとしても、それらの証拠は、主として騒音が及ぼす影響についての資料であって、大阪国際空港における騒音量等がいかほどであるかに関する資料ではない。

そもそも、大阪国際空港における騒音量等は、本件において当事者双方から主張されていないし、立証もされていないのである。

だからこそ、原判決は、大阪国際空港訴訟事件判決の内容を顕著であるとして事実認定するほかなかったのであるが、原判決をなすについて、かかる事実を認定する必要があるとすれば、当事者に対して主張立証をうながす等釈明権の行使をなすべきである。判決内容が裁判所に顕著であるとしても、顕著な事実は主張がなくても認定していいということにはならない。判決の内容はその判決の当事者において主張され立証された資料に基づいてその訴訟の必要な範囲で認定された事実にすぎず、客観的事実そのものではない。

しかも、厚木基地との比較で事実を認定するのであれば、比較すべき事項を十分に検討してみる必要がある。騒音の影響は、単に原判決が認定したような飛行回数、ジェット機の割合、飛行場の規模によって決まるわけではなく、騒音の大きさや質、騒音の時間帯その他さまざまな要因が考えられるところである。それら全体の検討なくして比較しようとするときは、その比較は恣意的となり、公正を欠くものとならざるをえない。

さらに比較する内容が、比較するに耐えるものであるかどうか正確に吟味する必要があることは当然である。後に詳述するところであるが、たとえば、大阪国際空港は民間空港で、離着陸回数は騒音測定によらないで知ることができるが、厚木基地においては騒音測定によって七〇ホン以上が五秒以上継続した飛行騒音のみを数えているのであって、そのうえ、測定器の故障等により測定不能の日も少なからず存することはその資料から明らかなところである。大阪国際空港では七〇ホンが五秒に満たないものであっても、離着陸回数に含まれていることは、判決から明らかなところである。

したがって、離着陸回数を比較するなら、比較すべき事実のもつ意味を正確に対比、考察した上でなければ意味のないことである。

結局原判決は、全く恣意的に大阪国際空港との比較を思いつき、上告人らに対し、これらの反論をする機会を奪って、厚木基地では大阪国際空港に較べて被害が少ないかのように誤信したもので、弁論主義に反し、又は釈明権を行使しない審理不尽の違法を犯し、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 原判決は、本件では大阪国際空港訴訟事件で当事者から多数提出され、同事件第一、第二審判決の事実認定の用に供された証拠が提出されていることに鑑み、右証拠及びこれに基づいてなされた判決が、本件においても妥当するか否かを検討するとしているが、両飛行場周辺地域における航空機騒音の影響を比較するにあたり、原判決が自ら判示している「本件航空機騒音の原告らに対する侵害行為の程度を判断するにあたっては、単に記録された回数とその中での最高音のレベルだけを検討するのでは不十分であって、その実態を正しく把握するためには、発生した騒音レベルの内容に立入り、どの程度の騒音がどれだけ発生し、その持続時間は如何程であったかを、全体的、具体的に吟味してみる必要がある」との指摘(判決理由第四の四の(三))を忘れ(なお「発生」した騒音ではなく到達した騒音が問題となるのであって、原判決の右指摘はその限りでは不正確であるが)、飛行回数、飛行場の規模、ジェット機の割合という三点のみでの比較を行い、「大阪国際空港と本件飛行場とを比べてみると、その周辺に及ぼす影響には相当の差があると思われる。大阪国際空港における判決及び各種の調査も、右に述べた同空港の実情を前提とするものであることに留意する必要がある」と結論づけている(同右)。

大阪国際空港周辺における航空機騒音による影響にかかる各種の証拠が、本件飛行場周辺における航空機騒音による影響を判断するための適切な証拠たりうるか否かを検討すること及びその為に両飛行場周辺の航空機騒音の実情を比較することが必要であるとしても、比較の為に原判決が採用した手法は何の科学性も合理性も有さず、本件飛行場周辺における航空機騒音の実情を大阪国際空港周辺におけるそれよりもことさら低く描き出し、同空港周辺での各種調査結果が本件飛行場周辺における航空機騒音の影響を評価する資料としての価値を有さず、当然のこととしてこれらの調査結果に基づく判決も本件飛行場には妥当しないとの結論を得るための、偏見に満ちた手法という外なく、原判決が本件飛行場周辺地域における航空機騒音による住民への影響は大阪国際空港地域におけるそれよりも相当に軽いとしたことは、証拠の取捨選択を誤り、経験則違反、理由不備又は理由齟齬の違法を犯したものであり、ひいては大阪国際空港についての最高裁判例に違背したものというべきである。

1 航空機の離着陸回数について

原判決は、大阪国際空港における離着陸回数と本件飛行場周辺の滑走路延長線上の南北二地点における七〇ホン以上の航空機騒音の測定回数を比較して、大阪国際空港における昭和四六年度の離着陸回数は、本件飛行場の七〇ホン以上の航空機騒音の測定回数に比し、対昭和五一年度でその約五倍強、対昭和五九年度でもなおその約2.8倍であると結論づけている。

しかし、原判決の右比較は基礎的な点においてそもそも誤ったものである。本件飛行場周辺での航空機騒音のデータは自動記録騒音計によって得られたものであるが、神奈川県や大和市による集計は七〇ホン以上の航空機騒音が五秒間以上継続したもののみを対象にしているのであって、ピーク値が七〇ホンを超えないものはもとより、七〇ホンを超える航空機騒音であってもその持続時間が五秒未満のものは集計の対象とはなっていないのである。そして現に月生田宅においては航空機が離着陸しているにもかかわらず、到達する航空機騒音が七〇ホン未満の場合が多数存することは、一審裁判所が同宅において昭和五四年八月一五日に実施した現場検証の結果から明らかなのである。又、、測定機の故障等により測定が不可能な場合が存することも先に指摘したとおりである。一方大阪国際空港について、原判決は「その大部分が離着陸時には、七〇ホン以上の騒音を発していたようである」としているが(因みに航空機が離着陸時に七〇ホン以上の航空機騒音を発することは自明のことである。問題は周辺地域に到達した際のレベルであって、発生源のレベルではなく、ここにも原審裁判官の騒音に対する無理解が露呈されている)、大阪国際空港訴訟事件についての判決がその到達騒音レベルについて事実認定をしている航空機は民間の旅客輸送等に充てられている航空機のみであって、その他の小型飛行機についてはその到達騒音がどの程度になるかについては触れるところがなく、原判決が指摘する大阪国際空港における昭和四六年度の総離着陸回数が全て到達地点で七〇ホンを超えているなどとは到底認められないのである。

以上のとおり、原判決は大阪国際空港における離着陸回数と本件飛行場周辺二地点の七〇ホン以上の航空機騒音測定回数は同一のものをカウントしたものとの前提に立っているのであるが、証拠上そうした前提は成立しないのであって、この両者を比較しても、その「大要」を把握したこととはならないのである。

更に原判決が離着陸の回数を比較して、離着陸回数の多い方が、地域への航空機騒音の総暴露量が多いとすることは、航空機騒音の性質に照し早計というべきであり、離着陸回数の比較は航空機騒音の影響を評価する上で、さしたる意味を有しないことを忘れてはならない。というのは、周辺地域に居住する住民への影響の程度は、どのようなレベルの航空機騒音がどの程度(回数・持続時間)暴露されているかによって基本的に決定されるものであるところ、これは離着陸回数のみならず、発生源における騒音レベル、飛行高度、急上昇か緩上昇か或いは直進か旋回かといった飛行方法、当該地域の地理的環境といった複雑な諸要素の総合的結果として顕われるものだからである。しかるに原判決は、これらの数多くの要素の中から、飛行場の規模及びジェット機の割合という要素を付加するのみで、基本的には離着陸回数の多少によって航空機騒音の影響の程度の比較をなしているのであって、その比較の手法自体合理性、客観性を欠如したものといわざるを得ない。

2 最高音について

原判決は、大阪国際空港周辺における最高音と本件飛行場周辺における最高音を比較するのは容易であるにもかかわらず、何故かこの比較をしていない。しかし原判決が一〇〇ホンを超える騒音を「真に激甚な騒音」と評している如く、一〇〇ホン以上の騒音の存在の有無が航空機騒音の周辺地域への影響を考察する上で重要な意味を有することは多言を要しまい。本件飛行場周辺においては、自動記録騒音計による定点測定が長期間実施されている野沢宅、吉見宅、市立林間小学校、月生田宅のいずれの地点においても一一〇ホン以上の騒音が記録され、更に野沢宅においては数こそ少ないものの一二〇ホン以上の騒音が記録されている。一方大阪国際空港周辺にあっては、最高音が一〇〇ないし一一〇ホンとなっている地区が一地区、一〇〇ないし一〇五ホンとなっている地区が一地区で、他の地区は九〇ないし一〇〇ホンとされており(同事件一審判決理由第二の二の4)、最高音という面からみれば、本件飛行場が騒音証明制度の適用されない軍用機の使用に供されていることから、その騒音の最高レベルは大阪国際空港周辺に比し、明らかに高くなっているのである。この結果からみても、単純に騒音着陸回数のみを比較し、もって本件飛行場周辺地域が大阪国際空港周辺地域に比し、航空機騒音の影響が少ないと結論づけている原判決の誤りは明らかであると同時に、原判決のとった比較手法の偏頗さを示して余りある。

3 飛行場の規模について

原判決は飛行場の規模に関し、本件飛行場が大阪国際空港に比し約1.68倍の面積があるとする一方(A八〇、九〇丁)、「飛行場の周辺への影響は、飛行場の規模に関係する」(同、八九丁)としている。一般論としては飛行場の規模が大きい程、滑走路と周辺地域との距離が大きくなるから、影響が小さくなるということはできる。しかし本件飛行場の規模が大きいからといって、その一事をもって本件飛行場周辺の方が大阪国際空港周辺よりも航空機騒音の影響が少ないと結論づける原判決の立論は明らかに誤ったものといわなければならない。

大阪国際空港は本件飛行場に比しより狭少な面積の中に二本の滑走路が併行して設置されており、特に滑走路側方の面積は少なく、滑走路側方への影響という面からみれば、一見本件飛行場に比しより深刻なものと考えられる。しかしその一方で本件飛行場は軍用飛行場であり、且つ離着陸訓練の用に供されているという事実が、航空機騒音の影響について大阪国際空港とは異なる要素をもたらしているのである。大阪国際空港の場合、離着陸は直進でなされ、低高度で周辺を旋回飛行することはないが、本件飛行場にあっては、飛行の大半が訓練飛行であり、離陸した後周辺を旋回して逆方向から着陸するという飛行方法をとる。従って滑走路の側方地域についても、旋回飛行に伴う航空機騒音の暴露を受けるのであって、飛行場上空のみで周辺地域の上空に及ぶことなく訓練飛行ができるだけの広さがあれば格別、本件飛行場はそれだけの広さはなく、滑走路側方の周辺地域であっても騒音の影響は大きくなるのである。

原判決は本件飛行場が訓練飛行に供され、訓練機が旋回飛行している事実をことさら無視し、飛行場の規模のみを取出して比較しているのであって、ここにもその非科学性が示されている。

4 ジェット機の割合について

原判決が「ジェット機は、プロペラ機より音響レベルが高く、周辺への影響が大きい」と指摘するとおり、ジェット機の割合が高い方が航空機騒音の影響が大きいということは一般的には可能であろう。しかし先述したとおり、比較すべきはどのようなレベルの航空機騒音が、どの程度(回数、持続時間)周辺地域に到達しているかということであり、ジェット機の割合がその一要素となることはあっても、それはあくまで一要素に過ぎず、これをもって影響の大小を比較するというのは早計といわざるを得ない。

5 WECPNLについて

(一) 航空機騒音の影響は、工場騒音のごとき定常騒音とは異なり、その間欠性が大きいことから、この特性を加味した評価方法が様々提唱されてきた。WECPNLはこうした航空機騒音の評価単位の一つであるが、国際民間航空機構の提案にかかるものとして、現在航空機騒音の評価単位の国際基準として採用されているものであり、我が国においても公害対策基本法に基づく航空機騒音にかかる環境基準の評価単位として用いられている。又本件飛行場周辺においては、防衛施設庁が防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律に基づく区域指定を行っているが、その評価単位も軍用飛行場の特殊性を加味した修正した算定方法こそとられているもののWECPNLが用いられている。

ところで航空機騒音に係る環境基準の指針設定は「聴力損失など人の健康に係る障害をもたらさないことはもとより、日常生活において睡眠障害、会話妨害、不快感などをきたさないことを基本と」して策定されたものであり、その評価単位としてWECPNLが適切だとして採用されているのである。因みにWECPNLの算出については環境基準及び整備法による区域指定についても略式で算定されるところ、右略式は飛行機数(時間帯補正がある)とピークレベルのパワー平均によってWECPNL値を算出するもので、原判決が比較の基準とした離着陸回数(飛行回数でカウントされるが)はもとより、周辺地域に到達する騒音の強度に影響を与える諸要素の総合的結果としての騒音のエネルギー量を加味したものとなっている。従って複数の飛行場周辺における航空機騒音の影響の程度を比較するのであれば、何よりもまずWECPNL値による比較をなすべきであり、共通且つ最適な指標による客観的比較が可能なのである。

さて大阪国際空港周辺におけるWECPNL値は、大別してB滑走路供用開始前で七〇ないし七五、七五ないし八〇、八〇ないし九〇、八五ないし九〇の各区域が各一、同滑走路供用開始後で八五ないし九〇、八五ないし九五、九〇ないし九五、九五以上の各区域が各一つとされているが(同事件第一審判決第二の二の4)、上告人らの居住区域はごく一部が七五未満である外は、昭和五九年五月三一日、防衛施設庁が周辺整備法に基づいて行った線引によれば、大部分が七五ないし九五の区域に居住している外、上告人らこそ居住していないもののWECPNL値が九五を超える区域(住民が居住している)も存する。このようにWECPNL値でみる限り、大阪国際空港と本件飛行場の間には格別の差は認められないのである。

(二) 右はWECPNL値の絶対値からみた両飛行場周辺地域の比較であるが、同一のWECPNL値の区域にどれだけの住民が居住しているかという事実も、周辺への影響の深刻さを評価する重要な要素である。環境基準は昭和五八年一二月二六日までに戸外でWECPNL七五未満に航空機騒音を減少すべきことを達成基準としているが、右時点でWECPNL七五以上の区域にどれだけの世帯が存在したかについては、その近似値を知り得る資料があるところ、これによればWECPNL七五以上の区域内に存在する世帯数は大阪国際空港周辺と本件飛行場の間には大差がなく、むしろ本件飛行場周辺の方が居住世帯数が多いと推察しうるのである。

即ち、環境庁の調査によれば、大阪国際空港周辺の住宅防音工事対象世帯数(WECPNL七五以上の区域の居住者)は八五、二八四戸とのことであるが、国によれば昭和五九年五月三一日になされた告示によるWECPNL七五以上の区域に存在する世帯数は約一〇万七〇〇〇戸ということである。もっとも整備法に基づく住宅防音工事の対象世帯となるのは告示時点に現に存在する住宅のみであるところ、告示は数次に亘ってなされており右一〇万七〇〇〇戸と大阪国際空港周辺の防音工事対象世帯とを比較することは不適切であるが、環境庁の調査と右国の説明を併せ考えれば、少なくとも約九万七〇〇〇戸が住宅防音工事の対象世帯と認められるから、住宅防音工事の対象世帯数でみる限り、本件飛行場周辺の方が数が多いのである(右一〇万七〇〇〇戸のうち、七万五九〇〇戸が、昭和五九年五月三一日の告示時点でWECPNL七五以上八〇未満の区域内に存在する世帯数であり、これにWECPNL八〇以上に存在する住宅防音工事対象世帯数二万六三〇戸を加えたものが、住宅防音工事の対象世帯総数となる)。

6 小括

以上のとおり、原判決が行った両飛行場比較の手法は、前提を異にするデータを無批判に比較し、或いは比較すべきところをことさら無視するなど、到底公正妥当な比較とは言難いものであるが、原判決が敢えてかかる方法による比較を行った意図は、本件飛行場周辺地域における航空機騒音による影響と大阪国際空港周辺におけるそれとの間には相当の差が存するという結論を無理矢理引出し、もって同空港事件についての最高裁が肯認した同事件控訴審判決を、本件にとって無意味なものとすることにあったと考えざるを得ない。しかしWECPNLという航空機騒音による影響に関する評価単位として国が採用している評価単位によって両飛行場を比較する限り、本件飛行場周辺が大阪国際空港周辺に比してその影響が小さいとか、影響を受ける範囲が狭いといった結論を導くことは不可能で、まして「その周辺に及ぼす影響には相当の差がある」などとすることは牽強付会もはなはだしい。

しかるに原判決はWECPNL値による評価が容易に行なえたにもかかわらずことさらこれを怠り、航空機騒音による影響を決定づける一要素に過ぎないもののみを恣意的に取出し、しかも比較する際の適切な処置すら怠って、もって明らかに誤った比較を行い、本件飛行場周辺の方が大阪国際空港周辺に比し、航空機騒音による影響が相当に低いという誤った結論に達しているのであり、その違法は明らかで、その違法が判決に影響を及ぼすことも明らかである。

第四点

原判決の被害認定には、判断遺脱、採証法則違反、経験則違反、最高裁判例違反の各違法が存するところ、右誤りは判決に影響を及ぼすべきことが明らかであり、又理由不備ないしは理由齟齬の違法が存し、破棄を免がれない。

一 被害把握の根本的誤り

上告人らは、本件基地騒音公害について、国の違法な環境権・人格権侵害行為により様々な身体的被害ないし健康被害、生活妨害・睡眠妨害及び情緒的被害等の各損害を蒙っており、その賠償(及び差止)を求めるものであるが、その損害に関しては、環境破壊の特質上、基本的に一定地域内に居住する住民にとって、これらの被害が既に顕在化しているものであれ、或いは潜在的なものであれ、相当程度共通することが経験則上明らかである。従って、一定地域内の環境破壊・劣悪化の事実を正しく認定し、それが上告人らに及ぼす影響を正しく把握すれば、原判決の如き結論には到底なり得なかった筈である。

環境権的な考え方を排斥した原判決の誤りは別途論じるところであるが(第五点)、原判決は、環境権・人格権という「権利」侵害性を不当に軽視した結果、違法性の判断にあたっても、個々人の具体的・特殊的被害の主張・立証を厳格なまでに要求し、共通の環境破壊に伴う相互に連関している被害をいわば総体的に把握することができないという近視眼的な誤りに陥っているのである。この被害把握の根本的な誤りの詳細については、以下に述べるが、そもそも従来のこの種の環境公害訴訟における最高裁判例等に示された常識的な考え方を大きく逸脱するものであることは明らかである。

二 「共通被害」認定上の誤り

原判決は、上告人らが被害として挙示する、(1) 難聴・耳鳴り等の健康破壊、(2) 会話妨害・TV・ラジオの視聴妨害等の生活妨害、(3) 睡眠妨害及び(4) 情緒被害について、「これらのうち、何が『すべて原告に共通して認められる』被害であり、それがどのようなものであるかを、証拠に基づき具体的に検討する必要がある」としたうえで、陳述書、アンケート調査或いは上告人らの本人尋問の結果等により偶々具体的個別的に被害を訴えた者につき、その内容を検討し、結論的に、次項以下述べるとおり、睡眠妨害や一定の生活妨害についてのみ上告人らに共通する被害としてその存在を肯定するに止まっている。

右の如き認定は、国の主張にひきずられ、本件の如き航空機騒音等の被害における「共通」性の理解を誤った結果であると言わざるを得ない。即ち、上告人らは、本件訴訟において、原判決が摘示するとおり「『直接の肉体的、精神的な苦痛及び社会的、家庭的、経済的一切の日常生活上の有形無形の損失、不利益をもたらす精神的苦痛、これらの苦痛及び身体的被害を避け、或いは回復するために要する努力、経済的損失、或いはこれらの相互が複雑に絡まりあい強化しあう中での被害すべてを包括する総体としての被害』のうち、『財産的損害とされる部分を除き、すべての原告らに共通して認められる非財産的損害』の『さらに一部を控え目に』主張して、その賠償を請求」しているのであるから、その「共通被害」認定にあたっては、一つ一つの被害を分断して考えず、これらの被害が相互に連関して総体としての環境破壊につながっていることを理解したうえ、上告人ら一人一人の生活形態の違いにより具体的な被害の発現の仕方は異なっても、同一程度の侵害行為にさらされている者にとっては、常に同一の被害が潜在的に存在する(顕在化する可能性・危険性がある)ことを前提とし、かつ、物質的損害ではなく、主として心理的、精神的影響、損害を重視しなければならないのである。原判決の如き考え方を採れば、原判決が一応認定している会話妨害等の生活妨害や睡眠妨害についてもその具体的内容を極めて厳格に明確化しなければならないことになろうが、そもそも個々の騒音の発生と、個々の被害を特定すること自体無意味に近いものであることは明らかであろう。

原判決が、被害の「共通」性に関し、誤った認識を有していることを如実に物語っているのは、「生殖機能の障害」、「乳児・幼児・児童・生徒への影響」等に関し言及している箇所である。即ち、原判決は、上告人らがその居住する環境の劣悪化の一徴表としてこれらの影響・被害を主張するのに対し、「原告らに固有の損害の主張と解されないのはもとより、その近親者について発生した損害を主張するとも解されないのであって、以上の点からすれば、これらは、原告らが蒙ったと主張するいわゆる共通被害、ということはできない」とするのである。上告人ら全員について自身がこれら被害の当事者でないから共通性はない、とするこの原判決が、如何に上告人らの主張を曲解し、その結果判断遺脱、経験則違反、理由不備ないし理由齟齬の違法に陥っているかは明白であろう。

同一環境地域内の住民にとって、一部の住民に顕在化・具体化している被害は総体としての被害の一徴表に過ぎず、常にそれ以外の住民についても、おそかれ早かれ顕在化するであろう潜在的な可能性・危険性が存するのである。大阪国際空港公害訴訟における最高裁判決においても、原告住民自身乃至その近親者中に妊産婦、乳幼児、病者等が存しなくとも、これらの者への影響・被害を肯定しているのは、右の如き観点から当然であり原判決の考え方との食い違いは歴然としており、経験則違背、判例違背の違法に陥っている。

三 「陳述書」等を軽視した誤り

原判決は、本件基地騒音被害の実態を訴える上告人らの陳述書、被害調査カード、若しくは本人尋問の結果について「全面的には措信し難い」とし、一定程度の生活妨害の存在の証拠としては肯認しながら、その他の被害に関しては、枝葉末節をあげつらい著しく低い証拠価値しか与えていない。

しかしながら、本件の如き航空機騒音被害の特質を考えれば、騒音の絶対量等のデータをはじめ各種の研究や実験の結果等客観的な訴えと地域住民、上告人らの主観的訴えを総合して、初めてよく被害の実態を把握し得るのであり、原判決のごとき考え方は経験則にも明らかに反するものである。

原判決がこれらの証拠の価値を不当に軽視した理由は、判決文上にも窺われるとおり、被害認定の観点から見て、各人の具体的な被害の内容が必ずしも明確になされていないと判断したためであると思われるが、原判決の被害認定に関する考え方の誤りは既に指摘したとおりであって、これをもって陳述書等を措信し難いとして排斥するのは著しく当を得ない。原判決が陳述書等につき措信し難い実例として挙示する部分は、いずれも前述の如きいわば「偏見」を前提としたものである。例えば、住宅防音工事につき、騒音軽減上相当効果のあることは検証結果からも明らかであるにもかかわらず、上告人らが一室防音では効果がないと述べている点を問題にするが、上告人らは、その日常生活の実体験から、閉めきりにした防音室内に閉じ籠ったままの生活が不可能であり、このような防音工事では騒音被害から逃れることができない旨主張しているのであって、何ら不自然ではない。又、上告人鈴木保らの土地購入の経緯についても、同様に表現に舌足らずの部分もあるが、要するに購入時に、これほどひどい騒音の発生源としての本件飛行場の存在を認識していなかったということを言うにあり、それを単純に把えて基地の存在すら知らなかったなどたやすく措信し難い等と論難するのは、余りにも揚げ足取りに過ぎるというべきであろう。その他、上告人永友輝美の旧所有地の売却についても、原判決の指摘するとおり「地価事情や交通の利便の要因」を考えれば、何ら「合理的説明」が困難なものとは思われない。

原判決のこれらの論難は、結局のところ、上告人らの主観的な訴えを、他の諸資料と総合し、被害の徴表として正しく把握することを排斥した点で、従来のこの種の集団訴訟における集団的観察に基づく共通被害の一律的認定方法(大阪国際空港訴訟事件についての最高裁判決)に反し、採証法則違反、判例違反、理由不備、理由齟齬の違法に陥ったものと言わざるを得ない。

四 原判決は、上告人らが主張した身体、健康にかかる被害に関し、「本件で問題なのは、本件飛行場における航空機騒音によって、原告らにその主張する如き身体的被害が現実に発生したかどうか、発生したとして、その内容と程度はどうかという点である。換言すれば、本件各原告らにつき、前記各被害の個別的具体的な発生の有無と本件航空機騒音との因果関係の存否如何ということなのである」(A―一四二頁)との視角から問題とし、上告人らが主張する各種の身体的、健康被害の全てについて、右判示部分でいうところの立証がなされていないとして、「本件航空機騒音がその一因となっている可能性は否定できない」(耳鳴りについて、A―一三五、一三六頁)、「原告らにその訴えるような胃痛等の障害が発生したとすれば、本件航空機騒音がその一因となっているものと考える余地はある」(A―一五七頁)等としながらも、結局のところ否定している。しかし原判決は上告人らの主張を誤解するとともに、航空機騒音の身体に与える影響の特質について見誤ったもので、判断遺脱、経験則違背、理由不備ないし理由齟齬、判例違背の違法が存する。

1 航空機騒音が身体、健康に与える影響は、聴覚に与える影響とその他の諸器官に与える影響とに大別することができるところ、聴覚に与える影響のうち聴力自体を損傷するものについては騒音性難聴とその他の原因によるものとを診断することが不可能ではなく、工場騒音の如き定常騒音にあっては、騒音と難聴との間の因果関係を解明しうる場合も存する。しかしその他の身体的被害については、影響のあらわれ方が非特異的なものであり、且つ直接的被害ではなく二次的な被害であることから、原判決の求める如きこれらの被害を個別的に医学的に解明することは元来不可能なのである。又航空機騒音によって聴力損失という被害を蒙ったとしても、航空機騒音の間欠性、人間の移動性、他の暴露源の多岐に亘る存在等の事情が重なり、仮に騒音性難聴であることが医学的に解明しえたとしても、それが航空機騒音によることの医学的解明は不可能に等しい。

一方騒音暴露による身体への影響は長期間の暴露の結果現実化するものであるところ、人間そのものを被験者としてフィールドで実験することは倫理的に許されず、さまざまな研究も、その方法が疫学的調査、実験室内での短期間の実験、動物実験等に制約され、未だ科学的解明が不十分な実情にある。

上告人らはかかる航空機騒音が身体に与える影響の特殊性に鑑み、各上告人が現に航空機騒音によって主張にかかる身体的被害を受けていることをもって被害として主張したものではなく、激甚な航空機騒音の暴露により、健康被害を発現させ、又は従前より他の原因によって蒙っていた健康被害を悪化させる原因となりうる客観的危険性のある情況に置かれていることにより上告人ら各自が蒙っている精神的苦痛をもって被害とし、それについての慰藉料請求権の存在を主張したものである。ところが原判決は、上告人らの請求は上告人らが航空機騒音によって現に身体的被害を蒙っていることを前提とするものだと曲解しているのであって、この点においてまず違法が存する。

2 航空機騒音による身体的被害の特殊性及びこれに起因する研究上の諸制約に徴し、現に身体的被害が発生し且つ右被害が航空機騒音によるものたることの科学的証明がない限り、身体的被害を認める余地がないとの立場をとることが何をもたらすかは明白であろう。その結果は余りに正義公平の観念に反するものたることは論を俟たない。一審判決が航空機騒音の暴露によって身体的被害乃至健康被害の客観的危険性のある状況下に置かれることで蒙る精神的苦痛をもって被害と把えたのは、航空機騒音が身体や健康に与える影響の特質に即した正当な立論なのである。

しかして一審判決或いは上告人らがとった立場は特異なものではなく、既に裁判実務上確立し、最高裁判例でも確認されている航空機騒音による健康被害乃至身体被害の把え方なのである。大阪国際空港訴訟事件第二審判決について、国は原判決が採った立場、即ち各人について「それぞれの被害発生、その内容、右各被害と加害行為との間の因果関係の存在を個別的かつ具体的に認定判断する必要がある」との立論をもって上告理由としたが、最高裁は「被上告人らすべてが、右のような身体障害に連なる可能性を有するストレス等の生理的、心理的影響ないし被害を受けているものとした判断」は肯認しうるとし、身体的被害発生の可能性ないし危険性を帯有する生理的・心理的現象をもって慰藉料請求権の発生原因とすることを正当として、国の右上告理由を排斥しているところである。

3 原判決は、本件航空機騒音によって身体的被害乃至健康被害の客観的可能性が存在するか否かについては、右に述べたところを除き触れてないが、大阪国際空港事件第二審口頭弁論終結以後も、航空機騒音による身体、健康への影響についての調査は継続されており、そのかなりの部分が書証として提出されている。しかしてこれらによって一審判決のいうところの危険性はより明らかになっているのであり、身体被害乃至健康被害の危険性を看過し、この面から上告人らの請求を判断しなかった原判決には判断遺脱、経験則違背、理由不備又は齟齬、判例違背の各違法が存する。

五 原判決は、上告人らの蒙っている様々な生活妨害及び情緒的被害に関して、住宅防音工事が施工されている室内でのごく短期間の経験を過大視する一方、二十数年に亘る長期間の騒音暴露下での日常生活を営まされてきた地域住民、上告人らの被害の訴えを著しく軽視した事実認定を行っているが、原判決の事実認定の手法には、経験則違背、判例違背の違法が存する。

1 事実の認定・心証形成は裁判官の恣意的判断を許すものではなく、一般の経験法則に従うものでなければならない(自由心証主義の限界)。この一般経験法則が何であるかについては、裁判において提出されたあらゆる証拠、訴訟資料を十分に検討斟酌して合理的に首肯しうる方法がとられた上での判断でなければならない。

本件においては航空機騒音のもたらす生活妨害に関する資料として、さまざまな調査研究資料、多くの上告人らの被害を訴える陳述書、アンケート資料などが上告人側から提出されており、又何よりも長年のデータである騒音値の記録が豊富に提出されており、騒音の年間にわたる回数、レベル、持続時間等を容易に知ることができる。

さらに現代都市生活者である我々(裁判官もその例外ではない)は日常生活の中でさまざまな(地下鉄、高架鉄道、工場、カラオケ、街頭宣伝等)定常的、非定常的騒音にさらされており、生活者としてこれらの騒音が日常生活のさまざまな局面に悪影響を及ぼす実体験を有しており、この体験事実も一般的な経験法則を形成する重要な因子であり、この体験事実を無視した判断はそれだけで非合理的なものと言わなければならない。

2 また航空機騒音の特色として騒音の一過性、持続時間の短さがあげられるが、これによる妨害を受ける住民生活のさまざまな局面は持続的、継続的、集積的である以上、航空機騒音一回ごとの生活妨害への影響を考察するのでは決定的に不十分であり、月間あるいは年間、さらには数年、数十年という住民生活がその中で展開、発展、継続して営まれる生活時間の継続的流れの中での集積する影響を考察の中心にすえなければならないことは自明の経験則といわなければならない。

3 ところが原判決はこの点で、騒音による生活妨害が恒常的であるかどうか(原判決によれば恒常的とは妨害時間の継続する長さが長いということを意味するようである―原判決A―一七三以下)を、生活妨害が重大であるかどうかの決定的指標としてとりあげ、住民生活という継続的生活レベルの時間軸から騒音の影響をおしはかるのではなく、一、二審を通じてわずか六回行なわれたにすぎないきわめて短時間の経験である現場検証、それも防音工事が施工された室内における空間的にも特殊限定された場における経験を誇大にとりあげ、騒音は比較的短時間であるし、又防音工事室内では生活妨害は全く感得されなかったとして(原判決A―一七六、一七七)、この体験を原告らの訴える生活妨害被害の認定について基本的な判断の枠組として使用しているのである。

つまり原判決は航空機騒音の間欠性、一過性にのみ着眼し、この間欠的な騒音が一年間を通じて、何千回、何万回とくりかえされる事実、二五年間を通してそれこそ何百万回と反復継続されている事実に全く目をつぶっているのである。この点は原判決A―一七三頁から一七九頁の間に挙示されている判断の根拠、証拠資料が第一審、原審を通じて六回行なわれた検証の検証調書の記載及び原審での検証結果のみに限られ、この検証結果と騒音データ、陳述書、上告人ら本人尋問結果との照合、検討などを行った気配が全く窺われないこと、然も防音工事の助成を受けることによりほぼ防止しうる程度の障害(原判決A―一七八)で情緒的被害にすぎないと判断していることに徴し、原判決が閉め切った防音工事室内においてほとんどの住民生活が営まれ、展開されていると誤認又は曲解しているとしか考えられないことから明白である。

4 このような原判決の認定方法は、航空機騒音という間欠性を基本的な特色とする騒音によるさまざまな生活支障という被害の特徴に初めから目をつぶり、長時間継続、持続する侵害でなければ被害は発生しえないものとの独断的前提を判断方法の基本にすえているものと言わざるを得ず、事実認定の基本的な方法を誤った経験則違背、自由心証主義違背があること、これが判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背であることが明白である。

さらに航空機騒音により妨害を受けるべき被侵害利益たる住民生活の継続性、累積性を考慮し、一定の時間軸の流れのなかで被害を考察すべきであるのに、ごく短時間の現場検証での体験事実のみを重視し、その他の実験結果とか研究資料、アンケート、住民の訴え(陳述書)等の訴訟資料を十分な理由なく排斥し、あるいは斟酌しない原判決の証拠採否の態度は、手続上の法令違背たる経験則違背であると言わなければならない。

また現場検証の結果を検討するに際して、住民生活のほんの一部が展開されるに過ぎないことが経験則上明らかな一室限りの、しかも閉め切った防音室における騒音体験を過大に評価し、この体験をもって広範な戸外をも大きな中心として営まれる住民生活全般への騒音妨害をおしはかろうとする原判決の前記事実認定方法も、経験則に全く反する違法な事実認定方法であり、判決に影響を与えること明らかな法令違背である。

5 本件で上告人らにより訴えられ救済が求められている生活妨害被害は、航空機という特殊な現代文明の機器により広範囲にまき散らされる強大な騒音による被害である。

このような航空機騒音による被害は、生理的、心理的、精神的な影響のほか、日常生活における諸般のさまざまな生活妨害に及びうるものであって、その内容、性質も複雑、多岐、微妙で外形的には容易に捕捉しがたいものがあるのである(大阪国際空港訴訟事件最高裁判決)。

そこでこのような広範囲で複雑多岐に亘る被害にあっては、客観的にのみ被害の有無を判断することはできず、被害を受けている者の主観的な受けとめ方を抜きにしては、これを正確に認識、把握することができないとされるのであり、この意味で当事者本人自身の訴えを率直に聞くことこそ最も適切であり、上告人らの作成した陳述書や主観的な訴えを集計したアンケート調査等が採証法則上重要視されなければならないのである(大阪国際空港訴訟事件―大阪高裁判決、最高裁判決)。

6 ところが本件において原判決は、前記先行する両判決の被害に関する採証方法についての基本的態度とは全く異なり、そもそも当事者は紛争の主体であって自己の利益のために訴訟を追行するものであり、そのために本人尋問は補充的なものとされているうえ、この本人尋問に代るべき陳述書等の書証は反対尋問を受けない関係上その証拠価値は更に一層限定を受けるとの前提を置き、陳述書等に示されている主観的訴えを重視しない基本的態度を表明するのである。(原判決A―一〇三)。

その上さらに原判決は、上告人らの提出する陳述書は厚木基地爆音防止期成同盟の指示のもとに上告人らによって作成されているから記載内容に同盟の方針が反映されているものとし、或いは客観的な裏づけがなく、経験則上合理的説明がつかなかったり、誇張にわたったりして措信できないものとして、これを排斥するのである(原判決A―一〇四〜一〇八)。

その結果から導き出される結論は、当然のこととして前述した住宅防音工事(然もほとんどが一室防音工事に過ぎないことを無視して、あたかも全室防音が通常であるかのような口吻で述べられている)の「効果」の過重な評価、防音工事室内での住民生活の大部分の展開といった誤った前提の影響を受けて、テレビ、ラジオの視聴妨害、ステレオ放送、レコード等による音楽鑑賞、各種楽器演奏、アマチュア無線通信、読書、編物等趣味生活への悪影響、交通事故の危険、学習思考妨害、教育への悪影響、職業生活の妨害などについて、上告人ら住民の訴え(陳述書)、あるいはアンケート調査等にあらわれた地域住民の深刻な被害感情を無視し、軽視し、これら全てを単なる「生活面での不便」たる情緒的被害にすぎないとする原判決認定(原判決A―一七八、一七九〜一八二)となるのである。

7 以上の原判決の陳述書等上告人ら被害住民の訴えを中心とする証拠資料に対する取扱い、事実認定手法としての考え方は、明白に前記最高裁判決およびその基本となっている大阪国際空港訴訟事件大阪高裁判決の証拠判断と矛盾しており、これに違反することが明らかである。

大阪国際空港訴訟事件に関する最高裁判決は、本件と全く同じ航空機騒音による空港周辺住民に対する生活妨害の被害が中心問題とされた我が国裁判史上初めての最高裁判決であり、航空機騒音による被害認定手法についてのその判断は確定した判例として下級審判決を拘束するものと言わなければならない。

原判決の判決に影響を及ぼすこと明らかな判例違反の違法は明白である。

六 原判決の生活妨害被害認定には前記違法の外、理由不備ないし理由齟齬の違法が存する。

1 前記1で述べたように、原審は本件航空機騒音による生活妨害被害の認定について、基本的に現場検証による原判決裁判所の騒音体験を強調してとりあげ、特にその中でも防音工事が施工されている室内における騒音程度についての体験を重視して、「右認定程度の支障」(原判決A―一七八)として原告らの生活妨害の訴えを一蹴しているのである。

2 ところが本件訴訟において上告人らが訴え、その救済を求めている騒音による各種の生活妨害被害は、古くは昭和三五年から二五年間にも及ぶ長期間の爆音の暴露によって、もたらされたものとして主張され、かつ大量の騒音データ、陳述書、アンケート、各種学術研究調査等によって立証されているものであり、原判決の認定する検証当日の結果のみに到底とどまるものではないのである。これら長年に亘る被害、またその相互の重複や影響の累積等による被害について、原判決は騒音の持続時間が比較的短時間であり、特に静穏な日も存するとして、これに一切論及せず考察を加えようとしていないのである。

原判決はこれら本訴にあらわれた大量の被害苦情、訴え、騒音データ、アンケート結果等について、その被害はいわゆる情緒的被害にすぎないとするのであるが、たかだか二〜三回の検証結果にもとづいて、この検証当日の騒音状況と他の大量の騒音データ内容とを十分に比較検討することもなく、又とりわけ第一審判決が大きくとりあげたジェット騒音の録音再生による騒音暴露の際の生々しい被害実感との具体的照合作業も何ら行わず、「右認定程度の支障」として被害についての訴えを一蹴する原判決の認定には判断過程の不明確、判断遺脱の点があるとともに、証拠についての具体的説明がきわめて不十分であり、理由不備ないし齟齬の違法があり原判決は破棄されなければならない。

第五点

原判決は、環境権及び人格権について、実定法上その規定がないとし、特に環境権については「その成立、存続、消滅等の要件や、その効力等、およそ権利としての基本的属性が曖昧であるばかりか、右権利の対象となる環境の範囲、すなわち環境を構成する内容、性質、地域的範囲等も不明であり、如何なる場合にその侵害がありというべきか、権利者の範囲等も明瞭でない。」としてその権利性を否定したばかりか、人格権についても「その内容、権利としての枠組や外延、これが私法秩序の中に占める位置等も明確さを欠き、その権利としての資格にはなお疑問の余地がある。」と、これを否定したが、右は憲法第一三条、同二五条に違反するばかりか、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背であるために破棄を免れない。

一 原判決の右説示は、従来国側より執拗に繰りかえされてきた論理をそのまま踏襲したものにすぎないものであるが、そこには戦後公害訴訟の歴史の中で追及されてきた、公害による住民の生命、健康、生活破壊に対して、如何に有効に被害救済を図り且つ環境破壊を防止しうる法理を確立するための努力に対して、一片の理解も示さないものであるばかりか、特に人格権を否定するに至っては、その時代錯誤に驚くばかりである。

原判決は右説示に続いて、環境権、人格権主張の実質的理由は、航空機運航差止を請求する関係において存するのであり、損害賠償請求との関係では、法律上保護されるべき利益が違法に侵害されたことを主張すれば足り、あえてこれを何らかの権利侵害として構成する必要は無いとしているが、かかる見解は、公害訴訟における論争の深化を通じて不法行為説と権利説の対立が止揚され、人の生命・身体・生活等の絶対的権利の侵害については利益衡量を許さず、それだけで差止、損害賠償を認めるべきだとする権利本位、被害本位の考え方がコンセンサスを得ている現在の理論状況を全く無視するものであって、結局は公害被害からの私法的救済を否定する住民敵視、加害者本位の立場に立脚するものとの非難を免れえないものである。

二 環境権を私権として承認すべしとの社会的規範意識は十分に醸成されており、現在はその根拠、内容、要件、妥当範囲等についての論議が深められている段階にあることは、既に原審等において詳論してきたところである。

そこにおいては、① 環境権が憲法第一三条、同二五条に基礎付けられる基本的人権の一つであり、憲法第一三条に基づく公害・環境破壊からの自由及び政府の施策等によって生命・自由が侵されようとする場合積極的にその排除を求めうる抵抗権的性格と、同二五条に基づく国家の積極的な配慮と施策を要請する社会的性格をあわせ具有するものであること、② 環境権は、環境保護立法や地方公共団体の公害防止条例等の理念や目的の中に明確にうたわれており、既に法文上の権利として定着、確立しているものであること、③ 判例においても環境権を明示的に認知した例はないものの、実質的にはこれを認知したに等しいと評価しうるものが多数存し、特に被害の総量的評価の考え方において大阪国際空港訴訟事件控訴審判決のなした被害認定方法や公共性との利益衡量の仕方はまさにその象徴とも言うべきものであること等が明らかにされており、今や憲法第一三条、同二五条に基づき私法上の権利として環境権を認知することは、憲法・法令の解釈上当然に要請されるところである。

ところが原判決は、前述のとおり、全くの形式論によって環境権の権利性を否定したばかりか、従来の判例等によって蓄積されてきた環境権的発想による被害認定方法や利益衡量の判断枠組も全てこれを一蹴し、もっぱら公共性絶対視の見地から上告人らの被害救済の途を拒絶するに至ったものであり、その憲法違背及び法令違背は自明のことと言わなければならない。

三 原判決の驚くべき特異性は、人格権を否定したことにおいて、端的にあらわされている。

そもそも現在において人格権の権利性については、判例、学説上異論の余地なく承認されていると言っても過言ではなく、又その根拠が環境権の場合と同様憲法第一三条及び同二五条に求められるべきことについては敢えて詳論するまでもないところである。

ところで周知のとおり人格権を学説史的に叙述すれば、当初の学説は、民法第七〇九条の「権利侵害」の要件を重視し、明文の規定のある生命・身体・自由・名誉(民法第七一〇条、同七一一条)以外の人格的諸利益を保護するために人格権概念の拡大につとめたが、大正一四年の大学湯事件の大審院判決が権利概念を弾力的に解して以来、学説上も昭和五年の末川博「権利侵害論」の出現により、権利侵害より違法性に重点が移り、人格権概念はむしろ否定される傾向にあった。しかし第二次大戦後は、戦時中の人格無視に対する反省、戦後急速に増加したマスコミ等による人格侵害、外国法(スイス法、ドイツ法等)との比較等を原因として、学説・判例により再び人格権概念が高揚されるようになった。

判例では、下級審においてマスコミや日照被害等に関する裁判で、人格権概念が承認され定着をみてきたが、中でもプライバシー権をはじめて認めた「宴のあと」事件判決(東京地判昭三九・九・二八下民集一五・九・二三一七)と人格権を根拠として航空機発着の差止を認めた大阪国際空港訴訟事件控訴審判決が重要な意義を有するとされている。

これに対し最高裁はこれまで、人格的諸権利の保護について配慮は払うものの、人格権という概念を採用するには慎重な態度をとり続けてきたが、人格権概念の承認についての下級審判例の定着と学説の発展及び社会的規範意識の醸成を受け、遂に昭和六一年六月一一日「北方ジャーナル差止国賠事件」についての大法廷判決において、明示的に人格権概念を承認するに至った。

右大法廷判決は、「人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価である名誉を違法に侵害された者は……人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止を求めることができるものと解するのが相当である。けだし、名誉は生命・身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである。」(傍点代理人)として、「人格権としての名誉権」から差止請求権を導き出したのである。なお「人格権としての名誉権」という用法は、「人格権」をドイツ法でいう「一般的人格権」の意義で使い、「名誉権」を「個別的人格権」の一つとして捉えたことを意味し、右大法廷判決は実質的に一般的人格権を認めたものということができると指摘されている(五十嵐清「人格権の侵害と差止請求権」ジュリスト一九八六年九月一日号三二頁、なお同誌加藤和夫論文(同誌五八頁参照)によれば、本判決は西ドイツのような一般的人格権を認めたものとはいえないとするが、「人格権に基づく公害の差止を肯認した裁判例は枚挙に暇がな」く、本判決はかかる通説的立場に立つものといえるとしており、この点については五十嵐論文と何ら異なるところはない)。

以上よりすれば、人格権概念を承認するか否かの論争は、本件大法廷判決によって最早裁判実務上終止符が打たれたと評することができるのであり、この点からみても原判決の憲法違反及び法令違反の存在は明らかである。

四 原判決は、上告人らの環境権・人格権に基づく損害賠償請求の主張に対して、「人間が社会的共同生活を円滑に維持遂行していくためには、原告らの主張するような侵害に対して絶対的保障を確保されるべき優越的権利の存在を認めるのは相当ではなく、具体的事件の処理において違法性の存否を判断するにあたっては、当該事案のもつ諸事情を総合した利益衡量が不可欠である」として、前述のとおり「原告らはさまざまな人格的利益の侵害を具体的に主張しているのであるから、損害賠償請求としてはこれで十分であり、その判断にあたって、右説示以上にこれらの権利性の存否を論ずる必要はない」としている。

これは所謂「受忍限度論」の立場に立った説示だと思われるが、その内容は公害訴訟における法理の深化・発展の中で、「歯どめなき利益衡量」あるいは「裁判官への白紙委任」との批判の下で既に葬り去られた誤った論理に立つものであって、憲法違反及び判決に影響を及ぼすべき法令違背として破棄を免れない。

1 既に上告人らにおいて縷々主張してきたとおり、現在ではたとえ受忍限度論をとる論者といえども、すくなくともそれが損害賠償請求に関する限りは人の生命・身体・健康・生活等に関する権利の侵害がある以上、原則として利益衡量を許さず、それだけで違法性が存在するものとして損害賠償請求を認めることを承認するに至っており、これは人格権を基礎付ける憲法第一三条及び同二五条並びに民法第七〇九条の正当な解釈として今日では確立した法理となっているのである。

従って住民に対する権利侵害がある以上は、その行為がいかに公共性が高いものといえども、それを理由として右住民らについてのみ犠牲を強いることは公平の理念に背馳し許されないものとして、損害賠償請求を認容すべきであって、かかる立場は本件の第一審判決や東海道新幹線訴訟第一審判決等まさに枚挙に暇がない程である(東海道新幹線訴訟第一審判決は「損害賠償の関係では公共性という衡量要素は受忍限度の判断に影響しないものと解するのが相当」としている)。

2 ところが本件は、優に人格権侵害が肯認され従ってそもそも利益衡量の余地なく損害賠償請求が認容されるべき事案であるにもかかわらず、原判決は「損害賠償請求としては……権利性の存否を論ずる必要はない」との誤った立場から、上告人ら住民に対して如何なる権利侵害が存在するか否かとの判断を放棄する一方で、「歯どめなき利益衡量」をなし、防衛に対する絶対的な公共性の価値判断の下で、上告人らの損害賠償請求を棄却するに至ったものであり、これが人格権を基礎付ける憲法第一三条及び同二五条に違反するばかりか、民法第七〇九条の解釈・適用を誤ったものであることは明らかである。

第六点

原判決は、本件損害賠償請求権の存否を判断するに当り、受忍限度論の考え方を採用し、その判断要素として、(1) 侵害行為の態様と侵害の程度、(2)被侵害利益の性質と内容、程度、(3) 侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度、(4) 被害の防止に関する国による対策の有無、内容、効果、(5) 侵害行為としての騒音等に対する行政的な規制に関する基準、(6)上告人らの侵害行為に接近の度合等の各判断要素を掲げた上、本件上告人らの被害は受忍限度を超えるものではなく、被上告人の加害行為には違法性が認められないとするものであるが、原判決は、右各判断要素の評価及び各要素の総合判断のいずれにおいても、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈・適用の誤り、理由不備、理由齟齬の違法を犯しており破棄を免れない。

なお、右各判断要素のうち、(1)及び(2)の評価についての違法は上告理由第三点ないし第五点に述べたとおりであるのでこれを援用し、以下では(3)以下の判断要素の評価及び受忍限度の総合判断における違法について述べる。

一 公共性について

原判決は、公共性概念の内容を定義づけることなく、本件飛行場には高度の公共性が存するとしているが、右公共性の判断には、判決に影響を及ぼすべき採証法則違反、経験則違反、判断遺脱の各違法があり、更には理由不備もしくは理由齟齬の違法が存する。

1 公共性の概念について

原判決は何らその概念内容についてふれないままで「公共性」なる用語を用いているが、「公共性」概念の内容については未だ一致をみるに至っておらず、現状では不確定な概念という外ない。従って「公共性」を国民の人格権、環境権の侵害の許容限度を左右する概念として用いる以上、まずその内容を明らかにしなければならない。しかるに原判決はその内容を何ら明らかにすることなく、アプリオリに「公共性」を用い、これをもって受忍限度判断の重要な要素としているのであって、この点において理由不備ないし理由齟齬の違法が存する。

2 主張・立証の不存在

原判決は本件飛行場には高度の公共性が存するとしているが、原判決は我が国が防衛力をもつことは憲法が認めているとし、防衛問題には高度の公共性があり、本件飛行場は防衛政策の一環として設置されている以上、高度の公共性が存するとするのみである。しかし公共性概念に何を盛込むかはともかく、権利侵害乃至法益侵害との関連で加害行為の性格を評価する概念として用いる以上、そこでいわれるところの公共性は具体的内容を持つものでなければならない。ところが被上告人は本件飛行場が該土地に現状の姿で設置され、米海軍及び海上自衛隊の哨戒飛行、偵察飛行、訓練飛行等の用に供されていることが、我が国の平和と安全にどのように寄与しているのかについて全く主張しておらず、当然のこととして右を窺わせる証拠は全く存在していない。被上告人の公共性に関する主張は公共性の主張としての体をなしておらず、主張・立証を欠くものといわざるを得ない。しかるに原判決は被上告人の抽象的公共性主張をそのまま受入れ、何ら証拠のないまま高度の公共性ありとしているのであって、理由不備又は理由齟齬の違法が存する。

因みに本件で問題になるのは本件飛行場の存在そのものではもとよりなく、本件飛行場を利用してなされている航空機の離着陸行為等による騒音暴露行為等であるから、加害行為の公共性を云々するのであれば、個々の加害行為、即ち個々の飛行行為、エンジンテスト行為の各一について公共性の存否、程度を判断しなければならないのであって、本件飛行場の公共性の存否という視角で論議すること自体誤っているという外なく、この点においても理由不備又は理由齟齬の違法が存する。

3 統治行為論との矛盾

本件飛行場は防衛の為の施設であるから、防衛施設としての公共性を問題にする限りは、日米安保体制下で、該土地上に本件飛行場を設置し、米海軍及び自衛隊がこれを使用し、日々防衛関連行為を行っていることが、我が国の防衛戦略上どのような意味を有しているかが明らかにされなければならない筈であるが、防衛の為にどのような措置をとるべきか、現に採られている防衛政策乃至個々の防衛関連行為が我が国の防衛に如何なる関連を有しているのかといった事柄は、原判決が高度の専門的判断を必要とする事項であって司法判断になじまないとしているところである。一方では司法の判断事項でないとしながら、他方では公共性があるという形で実体判断に立至っているのであり、原判決の自己矛盾は覆い難い。この点においても原判決には理由不備又は理由齟齬の違法が存するといわざるを得ない。

4 上告人らの主張の無視

上告人らは本件飛行場による「防衛行為」なるものが、被上告人らの主張する如き効果を生むとはいえず、却って一朝事ある時は敵国の第一次攻撃目標とされ地域住民に多大の損害をもたらすこと、アメリカの日米安保体制についての評価は同体制がアメリカの安全上重要な意味を有するというものであり、我が国の安全と平和は第二次的なものと位置付けられている事等を主張し、又その立証を行ったのであるが、原判決は事実摘示でこれにふれず、何らの判断もしなかった。上告人らの右主張は公共性の減殺要素として主張しているものであるから、公共性が存するとする以上、右主張に対する判断をなさなければならない筈であって、ここにも判断遺脱、理由不備又は理由齟齬の違法が存する。

二 被害の防止軽減対策と効果について

原判決は、国の被害防止軽減対策として、住宅防音工事、学校・病院等公共施設の防音工事、移転措置等、騒音用電話機の設置等周辺対策、助成措置音源対策を挙げる。

そのうち、住宅防音工事は、昭和五〇年度以降の措置であり、上告人らのうち昭和五五年一二月までに住宅防音工事助成を受けているのは一四戸に過ぎず、防音工事自体も一室ないし二室について施工されているのみであるから騒音による影響を十分防止されているものではないこと、密室化した防音居室の冷暖房、換気装置の電気料については住人自身の負担となっていること、移転措置については昭和四七年以降の建物の移転補償例は皆無であること、騒音用電話機についても使用方法について問題があり被害を十分に救済する対策となっていないこと、音源対策については、飛行時間等の制限が厳格に遵守されていないことは、それぞれ原判決が認定するところである。

しかし、原判決は、原審における上告人らの主張のうち、住宅等の防音工事は住民らの被害感を全く軽減するものでないばかりか密閉状態の生活を余儀なくさせることや、クーラーの使用による電気料金の増加等による日常生活の圧迫などの点について判断を加えず、この点で審理不尽ひいては理由不備乃至理由齟齬の違法がある。

また、上告人らの請求は、昭和三五年以降の過去の不法行為等による損害賠償請求にわたるものである上、原判決の認定事実によっても住宅防音工事等は昭和五〇年ころから順次進められたものであるというのであるから、各種防音工事などが実施される以前の上告人らの被害状況についての判断が当然なされなければならないものであるにもかかわらず、原判決はこの点について事実認定をなさず、安易に「住宅防音工事が実施された家屋にあっては、航空機騒音による被害はかなり軽減されていると認められる」などと判示しているものであり、この点に、審理不尽ひいては理由不備、理由齟齬の違法がある。

三 環境基準が受忍限度の決定基準にならないことについて

原判決は、公害対策基本法第九条に基づく昭和四八年一二月二七日環境庁告示(第一五四号)「航空機騒音に係る環境基準」について、「右環境基準は、政府が公害防止に関する基本的かつ総合的な施策を決定し、これを有効適切に実施するにあたっての行政上の努力目標を示す指標であり、そこで定められている数値も、達成され維持されることが望ましい値を示しているものであって、これが直接、不法行為に基づく損害賠償請求の成立を基礎づける違法性ないし受忍限度判断の決定基準となったり、これが達成されないことにより、周辺住民の健康被害や環境破壊等の事実の発生を推認させる要素となるものでないことは、その文言や前記<書証番号略>によって認められることが制定に至る経緯等に徴しても明らかである。」と判示する。

しかし、各種環境基準が公害訴訟において受忍限度論による違法性判断の基準とされるのは、環境基準が、加害行為の態様、被害の性格、地域性、被害の防止・軽減対策の可能性や難易、公共性などを総合して決定された以上、国にとっても認めざるを得ないその時代の環境上の要請を示すものと考えられるためであり、その環境基準が取締法上の規制値としての拘束力を持つためではない。このことは、清水板金製作所事件一審判決(名古屋地判昭四二・九・三〇 下民集一八巻九・一〇号九六四頁)が、騒音の基準について「一般に生活妨害における被害者の受忍する限度を判定するに当っては、いわゆる公害について公法上の基準を設けている地域にあっては私法上においても原則として右基準にしたがうのを相当とする。なぜなら、……ある時代の、ある地域の産業保護との調和を図るという大なる社会的要請のもとに制定されたのが公法上の基準であるから、相隣り合う企業と住民との相対立する利害についての、その地域におけるその時代の調和点が一応、そこに在ると見るべきだからである。」と述べ、大阪国際空港訴訟事件一審判決が「被害の程度を考えるについて見逃すことができないのは、国がみずから定めた航空機騒音の環境基準において、住居地域は七〇WECPNL以下、その他の地域は七五WECPNL以下とし、本件空港についての五年以内の改善目標を八五WECPNL未満としている点である。もとより環境基準は規制基準と異なり、公害対策を推進するための行政目標に過ぎないから、これを超えているからといって、そのことだけで違法性を云々することはできないが、環境基準は多くの科学的調査研究に基づいて設定されるのであり、航空機騒音の環境基準も、各種の調査研究等の資料に基づき、聴力損失等健康に係る障害をもたらさないことを基本として設定されているわけである。従って、原告ら居住地域におけるWECPNLの数値も、被害の程度を知り受忍限度を考える上での重要な尺度であるといわなければならない。」と判示したことに示されるとおりである。いわば、行政上の目標値は受忍限度を定型化したようなものであり、個々の被害者の特殊性をある程度捨象した集団訴訟においては、受忍限度の判断は目標値や環境の考え方に非常に近くなる(野村好弘「公害における因果関係と受忍限度」一〇一、一六八頁)と言われる所以である。

前記「航空機騒音に係る環境基準」の制定過程においてなされた専門委員会報告は、「近年、航空輸送の著しい増加に伴い、空港周辺地域において航空機騒音による被害が増大し、生活環境保全上深刻な社会問題となっている。」との現状認識、「航空機騒音に係る環境基準の指針設定にあたっては、聴力損失など人の健康に係る障害をもたらさないことはもとより、日常生活において睡眠障害、会話妨害、不快感などを来たさないことを基本とすべきである」との基本的立場にもかかわらず、「望ましい」とするNN―三五の指針値を「航空機騒音については、その影響が広範囲に及ぶこと、技術的に騒音を低減することが困難であることその他輸送の国際性、安全性等の事情がある」として変更し、現実の環境基準は七〇WECPNL以下にとどめたことを示す。また、右環境基準は、専ら住居の用に供される地域において七〇WECPNL以下、その他「通常の生活を保全する必要がある」地域において七五WECPNL以下を環境基準としたこと、達成期間は、新設飛行場・第三種飛行場については直ちに、その他の空港についても五年ないし一〇年内または可及的速やかな達成を求めていること、達成期間内での達成が困難とされる地域についても「環境基準が達成されたのと同等の屋内環境が保持されるようにするとともに、極力環境基準の速やかな達成を期するものとする」としていることは証拠上明らかである。

このように右環境基準は、その内容および制定経過のいずれの観点から見ても、航空機騒音のうち特に放置しえない激甚な騒音被害について緊急な行政措置を行うための基準であり、右基準を本件航空機騒音が超えることは受忍限度の判断において大きな尺度となるべきは当然である。原判決が、前記のように、右基準が受忍限度判断の決定基準にも環境破壊を推認させる要素ともならないとしたことは、この点において著しく環境基準についての評価を誤ったものである。

なお、原判決は、その結論に至った根拠として、<書証番号略>の外、制定経緯を示すものとして<書証番号略>を引用するのであるが、<書証番号略>は、公害対策基本法の解釈として環境基準を設定する場合の一般的・訓示的な方向を示すものにすぎず、「航空機騒音に係る環境基準」の具体的な制定経緯を何ら示すものではないから、原判決は、証拠の挙示を誤りひいては理由齟齬の違法を犯している。

四 地域性の無視について

原判決は、「原告らが本件周辺地域に転入した時期は、昭和一八年から同五一年にかけて区々にわたるものであるから、必ずしも地域性によってすべての原告らに対する関係を一律に論じ得るものとは考えられないし、後記のように、公共性の観点から本件違法性の有無を判断し得るので、地域性については特に判断を加えないものとする。」と述べる。

上告人らは、原審において、本件飛行場周辺での航空機の飛行は、都市計画法上の住宅地域である上、多数の人口を抱える住宅密集地域である、上告人らの居住地のただ中で継続されているものであり、本件飛行場は右のような状況に照らし適地性がないことが承認されている旨繰り返し主張しているところ、原判決の右判示は、右地域性の主張を排斥する理由となっていない。

上告人らの主張する地域性は、静穏であるべき周辺地域で本件加害行為が継続されているという加害行為ないし被害の態様に関わるものであり、原判決も、本件加害行為および被害についてはその存在を認定しているのであるから、上告人らの周辺地域への転入時期が区々であることが、右地域性の判断をなさない理由となる筈はないからである。また、公共性について判断することが、他の判断要素としての地域性について判断しない理由にならないことは明らかであるから、いずれにしても、原判決には理由不備、理由齟齬の違法がある。

原判決の右判示部分は、国の主張する先住性(国は、地域性の一部とする)、危険への接近の要素についてのみの判断であると考えられないでもないが、その場合には、原判決は、地域性の項目を掲げながら、右上告人らの地域性の主張に判断を加えないことについて何ら理由を述べていないことに帰着するから、理由不備、理由齟齬の違法はいずれにしても免れない。

五 受忍限度の総合判断について

1 原判決は、各判断要素を総合的に考察して違法性についての判断をするとしながら、理由は明らかではないが「先ず、右侵害行為と被侵害利益及び本件における公共性の各点を比較検討してみることにする」とし、その検討において「本件の場合、本件飛行場の沿革、周辺地域の事情のもとで、被告による本件飛行場の使用及び供用行為の高度の公共性を考えると、これに基づく原告らの被害が前記のような情緒的被害、睡眠妨害ないし生活妨害のごときものである場合には、原則として、かかる被害は受忍限度内にあるものとして、これに基づく慰藉料請求は許されないのであり、例外的に身体的被害の原因となる深刻な加害が存するときにのみ、更にその他の事情を併せ考慮して、受忍限度を超える被害があるものとして、その請求が許され得るものと解するのが相当である。」「高度に公共性ある国の防衛関連行為に随伴して生ずるある範囲の犠牲について、国民がこれを受忍することを要求されるのは、事柄の重要性と必要性との対比において止むをえないところと解すべき」などと述べ、「原告らの本件現在の損害賠償請求は此の点において既に理由がない。」としている。従って、原判決は、被侵害利益の性質、程度と公共性を対置し、一方的に公共性を重視し、もって上告人らの損害賠償請求を棄却するべきであると結論したことは明白である。

原判決の判示する本件加害行為の「公共性」が、受忍限度判断の要素として用い得るような具体性を全く欠き、事実認定とは言い難いものであることは前述したところであるが、仮に、本件加害行為に、防衛関連行為としての何らかの公共性がありうるとしても、原判決が本件損害賠償請求権の存否判断において、原判決が受忍限度判断の要素として摘示する他の要素を顧みることなく「当該行為の公共性の性質・内容・程度に応じて受忍限度の限界が考慮されるべきであり、これについては、公共性が高ければ、それに応じて受忍限度も高くなるといわなければならない。」とするのは、明白に判決に影響を及ぼす甚だしい法令の解釈・適用の誤りであり、理由不備、理由齟齬の違法を犯すものである。

2 そもそも、受忍限度論は、学説史的には、加害者側の侵害行為の性質・程度・内容と被害者側の侵害利益の性質・程度・内容を相関的に検討して違法性の判断をなすという相関関係説から発展したものであることは疑いない(加藤一郎「不法行為」一〇五頁以下)。しかし、相互の互換性を前提とする相関関係説と異なり、受忍限度論においては、「一般に社会生活上受忍すべき限度」という概念を用い、社会通念上、被害を受ける者から見ても一定限度の侵害を受忍する限度が存するという部分をその理論の中核とするのである。受忍限度を決定するに当って、侵害行為の性質・程度・内容、被侵害利益の性質・程度・内容、行政基準との関係、公共性、地域性などの各種要素が考慮されることがあっても、右は、社会通念上、被害者が無償で受忍することが妥当と考えられる範囲を決定するものであって、裸の利益衡量ではない。

従って、専ら加害行為の公共性のみが受忍限度を決定するとし、他の要素を考慮しない原判決の論理枠組は、それのみで、受忍限度論の趣旨を誤解していることを示すものであり、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の解釈・適用の誤り、理由齟齬の違法を構成するものである。

3 更に言えば、原判決がことさらに重視する本件加害行為の公共性については、損害賠償請求権の存否判断においては、基本的に考慮に入れるべきものではない。一般私人の活動によって被害が生じた場合にその一般私人の費用によって被害が填補されるべきであると同様、公共性を有する国等の活動によって被害が生じた場合は、右公共性を有する活動によって恩恵を受ける国民等の共同負担により国庫等から被害が填補されるべきものであって、右活動により特別の利益を得ていない一部の国民等が特別の犠牲を強いられる理由は何ら存しないからである。

殊に、本件飛行場の利用に何らかの公共性があるとしても、上告人ら周辺住民は、その他の一般国民に比して、そのために特別の利益を得ておらず、上告人らの被害の増大も、何ら上告人ら周辺住民の利益の増大に結び付かない(彼此相補の関係がない)ことは、本件飛行場の性格から明らかなのである。

右のような公共性の性格付けからすれば、損害賠償請求に関しては、これを考慮要素から除くか、加害行為の態様の一側面としてのみ考慮するに止めるべきことは、社会通念の上からも当然と言える。原判決のような立論が是認されるとすれば、国又は地方公共団体、公共事業体などに対する損害賠償は、身体的被害を現実に蒙らない限り不可能になると言っても過言ではなく、社会的公正が著しく害されるのはもちろん、司法に対する国民の信頼を損うおそれすらなしとはしないものである。

4 また、前記のような受忍限度の各判断要素を、独立の主張を要する訴訟上の主要事実と考えるか、受忍限度という主要事実を推認させる間接事実と考えるかは、見解が分れうるところではあるが、いずれにしても、それらの事実を十分に吟味せずに受忍限度について判断を下すことは許されるところではない。被上告人の騒音被害防止対策が十分な被害防止には不足であること、飛行時間等の制限も遵守されていないこと、環境基準の存在などは、原判決が前記のように自ら認定するところであり、地域性の論点も上告人らが原審において自らの攻撃方法として提起しているのであるから、これらの事実を理由なく受忍限度の判断要素から外し、黙殺した上で損害賠償請求が棄却されるべきと結論した原判決の態度は不可解としか言いようがない。

5 以上の理由により、原判決は受忍限度の総合判断において、基本的に法令の解釈・適用を誤り、その結果、理由不備、理由齟齬の違法に及んだものであると解されるのであり、これらの違法は判決の結論に影響を及ぼしたことが明白であるばかりではなく「史上最悪の判決」という世論の悪評をほしいままにしたものであって、社会正義の上からも破棄されるべきは当然のものである。

第七点

原判決は上告人らの将来請求について権利保護要件を欠くものとし、不適法として却下したが、これは損害賠償請求権の基礎となるべき事実関係・法律関係において経験則に違背する事実認定、理由不備もしくは法令解釈の適用の誤りをなし、且つ民事訴訟法二二六条の解釈を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れない。

一 民事訴訟法二二六条解釈の誤り

原判決は上告人らにつき、今後の航空機騒音の発生状況、被害の内容、程度、居住関係等の事実関係の推移を待たなければ将来の損害賠償請求権の成否を認定しえないから将来の給付の訴えにおける請求権としての適格を有せず、権利保護要件を欠くものといわざるを得ず、請求の終期をどのように定めるものにせよ不適法であるとしている。

しかし、原判決は民事訴訟法二二六条の解釈を誤ったものである。

民事訴訟法二二六条の将来請求は停止条件付債権のような債権発生のための要件事実のうち基本部分が既に一義的に定まっているものだけでなく、債権発生の基盤たる事実の全部または主要部分が将来発生する事実であり、その発生が相当程度の蓋然性をもって予測しうる場合も含むことは不動産の不法占拠の場合をはじめとして当然のことである。

従って、損害賠償請求権発生にかかる事実が将来にかかるものであり、その成否はその後の推移を待たなければ確定しえないことを根拠に将来請求を否定することは許されない。

大阪国際空港訴訟事件に関する最高裁判決多数意見は同事件の場合には、請求の内容・性質からいって、現存の事実関係、法律関係から将来における請求権の成否・内容が一義的に明確にはならないので将来請求は許されないとしているが、その実質は事情の変動性を債務者の立証責任とするのが不当、不公平な場合、権利保護要件を欠くとする立場である。ここからすれば、多数意見に立っても、事情の変動性について債権者よりも債務者が把握しうる位置にある場合や、将来請求の終期の定め方により債務者に不利益を負わせない場合将来請求を認めることになろう。

そして、本件においては、航空機の飛行については被上告人が把握するところであり、また被害程度についてもWECPNLの測定を法に基づき実施し、防音工事についても被上告人の支出のもとに行われているのであり、しかも上告人らは終期についてWECPNL値と連動させる請求をもしているのであるから、債務者たる被上告人に何ら不利益はないのである。

そもそも違法な行為をあえて継続し、債権者に被害の忍従を強いている不法行為における債務者に対し、「公平」さを必要以上に認める必要はないといわねばならない。

従って、将来請求について、事実関係の推移を待たなければ損害賠償請求権の存否が判断できず権利保護要件がなく、終期の定め方いかんにかかわらず却下すべきとした原判決の法律解釈の誤りは明らかである。

二 過去の損害賠償請求権及び将来の予測についての法令違背

原判決は上告人らの過去の損害賠償請求権を否定し、その上で将来についての予測を誤り将来請求を却下したものと解されるが、これは経験則違背、理由不備の違法がある。

過去の請求については既に上告理由第三点乃至第六点において述べたとおりであり、またこれを前提にすれば将来の要件事実の蓋然性判断において原判決が経験則違背の誤りをおかしていることも明らかである。

すなわち厚木基地周辺におけるジェット機を中心とする騒音は昭和三五年の滑走路延長によって甚大なものとなったが、以後現在まで、住民の反対運動にかかわらず、多少の増減はあるものの変るところはない。特に昭和五七年以後のNLPを中心とする着艦訓練等は一審判決後その程度を格段に強め、原子力空母カールビンソンの横須賀寄港等厚木基地の航空機による利用は増加しており、その騒音の程度が減じられる可能性は、差止の判決が確定すればともかく、ないことは明白であり、上告人らの請求権発生の蓋然性判断において原判決は法令の適用の誤りをなしている。

おわりに

昭和六一年一一月一四日米空母ミッドウェーの新艦載機FA18ホーネットが本件飛行場に飛来し、一八日からは夜間離着陸訓練が始った。

一八日の滑走路北側一キロ地点での騒音測定記録は次のとおりである。

一日の回数

五三四回(七〇ホン五秒以上)うち午後五時から一〇時 二五五回最高音 一一三ホン

一〇〇ホン以上の回数 一〇四回

一一月二〇日付神奈川新聞には次のように報じられている。

一八日「大和、綾瀬、座間、海老名、藤沢の各市に寄せられた住民の苦情電話は七十一件。大和市にある座間防衛施設事務所にも約三十件の電話がかかった。

大和市では夜に入ってだけでも二十九件の苦情が寄せられた。『入試を控えた子供がいるのに、なんとかならないか。ミサイルでも撃ち込みたい気分だ』(西鶴間、男性)、『これでは病人が死んでしまう』(中央、男性)、『子供がひきつけを起した』(草柳、男性)などで、いずれも、深刻な悩みを電話口にぶつけていた。」

ちなみに大阪国際空港における一日の離着陸回数は昭和四〇年七月で一八八機(うちジェット機三〇機)、四七年当時で四一八機(うちジェット機は二四八機)である。

原判決が本件飛行場の騒音実態に目をおおい、厳格な因果関係をいいたてて被害を小さいかのように錯覚させ、さらに軍事すなわち公共性であるとして、結果として法の名の下にこの激甚な騒音を許したのは、まさに無法というほかない。

原判決を破棄し、公正妥当な判断をなされるよう強く求めるものである。

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